野平祐二さん・・・スピードシンボリ(1)
スピードシンボリは軟弱な少年だった。それが、経験を積むにつれて、しだいに、とても強い精神力をもった男へと成長していった。
4歳の春こそ体調が整わなくて惨敗をくり返したが、秋に急成長し、菊花賞ではナスノコトブキのハナ差の2着と健闘した。5歳を迎えると完全に本格化。年明けから無傷の重賞4連勝を成し遂げ、念願のタイトル天皇賞も手中におさめた。
そして日本代表として、アメリカのローレル競馬場で行われた国際招待レース、ワシントンDCインターナショナルに参加。フォートマーシーの5着にがんばった。
その後日本に戻り、目黒記念などいくつかの重賞を勝ったのちに、再び世界の競馬に挑むため、もう一度海を渡る。
最初の遠征から1年と半年の月日が流れ、スピードシンボリはすでに7歳。目指すは世界の競馬の最高峰、凱旋門賞である。
「初めて会ったときの印象は、おとなしいなあって感じでしたね。やさしい感じです。たくましい、俺は男だっていう、筋骨隆々とした格好じゃなかった。性格も、いつも厩(うまや)のすみっこにジーッと頭を下げてるだけで。ほんと、神経質な馬でした。線が細くてね。いわば牝馬的な馬でしたよ。
牧場で見たときもそうでした。おなかが弱くてすぐ下痢ばっかりしたりするから、この馬一頭だけ、ほかの馬たちと離れて別のパドックに放牧されてたんですよ。見てるとね、いつも、飛行機が頭の上を飛んでいくたびに、長い首を上げて空をながめてんの。たったひとりで」
…でも、我慢強い馬だったと聞いていますが?
「そうですよ。ルドルフの我慢強さも、スピードシンボリから受け継いだものだと思います」
…神経質なのに、我慢強いんですか?
「繊細じゃなきゃだめなんです。ずうずうしくて、俺はなんにも動じないんだっていう、いわゆる“鈍”のほうではだめなんです。勝負で通用するためにはね。カミソリのように切れるものがあって、その中でやせ我慢でもなんでもつくるということが大事なんです。
昔の巨人のエース金田も、対談したときに言ってましたよ。俺は、緊張して怖いから、なんとか相手をやっつけなきゃいけないから、相手を威圧しようとふてぶてしくしたりするんだって(笑)」

