欧米でも広く知られるようになった国際GIレース・ジャパンカップ。その21世紀最初のレースを制したのは、外国人騎手を背にした日本馬ジャングルポケットだった。

「日本の馬も強くなったなあ」。大観衆の歓声が響くスタンドでそんな感慨にひたりながら、「祐ちゃんがいたら、なんと言ったかな」とふと考えた。

日本の競馬の国際化 ―― 今では当たり前になったその言葉を、他にさきがけて行動にうつしたホースマンの一人が、この夏に亡くなった野平祐二である。

野平祐二といえば、シンボリルドルフ、そして、スピードシンボリだ。

調教師として育てた7冠馬シンボリルドルフと、騎手として凱旋門賞にともに挑んだスピードシンボリ。この2頭の名馬とのエピソードは野平祐二を語るときに欠かせないが、苦楽をともにした仲という点では断然、後者に軍配があがる。

天皇賞に勝ち、有馬記念にも勝ち、そして凱旋門賞で敗れたスピードシンボリの背の上で、騎手はなにを考えていたのか。

「ミスター競馬」と讃えられる一方で「祐ちゃん」と親しまれたホースマンが、My Favorite Horse について語った言葉を伝えよう。



 スピードシンボリは軟弱な少年だった。それが、経験を積むにつれて、しだいに、とても強い精神力をもった男へと成長していった。

 4歳の春こそ体調が整わなくて惨敗をくり返したが、秋に急成長し、菊花賞ではナスノコトブキのハナ差の2着と健闘した。5歳を迎えると完全に本格化。年明けから無傷の重賞4連勝を成し遂げ、念願のタイトル天皇賞も手中におさめた。

 そして日本代表として、アメリカのローレル競馬場で行われた国際招待レース、ワシントンDCインターナショナルに参加。フォートマーシーの5着にがんばった。

 その後日本に戻り、目黒記念などいくつかの重賞を勝ったのちに、再び世界の競馬に挑むため、もう一度海を渡る。

 最初の遠征から1年と半年の月日が流れ、スピードシンボリはすでに7歳。目指すは世界の競馬の最高峰、凱旋門賞である。



「初めて会ったときの印象は、おとなしいなあって感じでしたね。やさしい感じです。たくましい、俺は男だっていう、筋骨隆々とした格好じゃなかった。性格も、いつも厩(うまや)のすみっこにジーッと頭を下げてるだけで。ほんと、神経質な馬でした。線が細くてね。いわば牝馬的な馬でしたよ。

牧場で見たときもそうでした。おなかが弱くてすぐ下痢ばっかりしたりするから、この馬一頭だけ、ほかの馬たちと離れて別のパドックに放牧されてたんですよ。見てるとね、いつも、飛行機が頭の上を飛んでいくたびに、長い首を上げて空をながめてんの。たったひとりで」

…でも、我慢強い馬だったと聞いていますが?

「そうですよ。ルドルフの我慢強さも、スピードシンボリから受け継いだものだと思います」

…神経質なのに、我慢強いんですか?

「繊細じゃなきゃだめなんです。ずうずうしくて、俺はなんにも動じないんだっていう、いわゆる“鈍”のほうではだめなんです。勝負で通用するためにはね。カミソリのように切れるものがあって、その中でやせ我慢でもなんでもつくるということが大事なんです。

昔の巨人のエース金田も、対談したときに言ってましたよ。俺は、緊張して怖いから、なんとか相手をやっつけなきゃいけないから、相手を威圧しようとふてぶてしくしたりするんだって(笑)」



-
© Derby21.com & Coltnet,inc.